生体内での酵素反応の理解が進み、酵素を自在に設計できるようになれば、これまで有機合成で作られていた物質も生合成で置き換えられるようになり、両者の長所を生かした革新的なものづくりを実現するかもしれません。

生物学と化学を融合させたものづくり

酵素を自在にデザインし、あらゆる合成に対応するライブラリーを作製

生体内での酵素反応の理解が進み、酵素を自在に設計できるようになれば、これまで有機合成で作られていた物質も生合成で置き換えられるようになり、両者の長所を生かした革新的なものづくりを実現するかもしれません。

生物学と化学を融合させたものづくり

酵素を自在にデザインし、あらゆる合成に対応するライブラリーを作製

研究によって実現したい未来

有能な触媒「酵素」は、まだ使える種類が足りない

新しい物質を作り出すには、化学反応を利用して小さくて単純な分子から大きくて複雑な分子を合成する必要があります。現在、その主な方法は2つあります。ひとつは、人為的に熱や圧力を加えて反応を進める有機合成。もうひとつは、微生物や生物の細胞が酵素というタンパク質の触媒を使って行う生合成です。

有機合成と生合成には、それぞれに長所と短所があります。生合成の長所は、穏やかな条件で反応が進行し、狙った物質だけを作り出せることです。短所は、生物が本来作らない物質を作ることが難しく、大量生産にも向かない点です。一方、有機合成は大量に効率的に作れるという長所がありますが、高温・高圧などの条件が必要な場合が多く、エネルギー消費や環境負荷が大きくなりやすいという短所があります。また、有機合成では構造が複雑な天然物や、生物特有の立体構造をもつ分子を作ることは困難です。

もし、この両者の長所を組み合わせることができれば、環境に優しく、より多様で機能的な物質を生み出すことが可能になります。しかし、現時点でそれが十分に実現できない理由のひとつに、利用できる酵素の種類が限られているという課題があります。自然界には多様な酵素が存在していますが、その多くはまだ存在も機能も知られてなく、人間が利用できる形にはなっていません。有機合成のプロセスを置き換えるために必要な反応を起こす酵素が、現在は足りていないのです。

遺伝子の配列を読み取り、そこからタンパク質を作り出すことは既に可能になっています。さらにAIツール「AlphaFold」の登場により、アミノ酸配列からタンパク質の立体構造を高精度で予測できるようになりました。しかしながら、そのタンパク質の体内での働きまでは予測できず、最終的には一つひとつ実験によって確かめていくしかありません。現状では、望む機能をもとに自在に酵素を設計することはまだできないのが実情です。

酵素を自在に設計できると実現する未来

しかし今後、酵素の構造と機能の関係に関するデータがさらに蓄積され、AI技術が進歩して解析と予測の精度が上がっていけば、「望む機能から酵素を設計する」ことも可能になるかもしれません。そうなればさまざまな設計図を使って酵素の種類を増やすことができます。酵素の種類が増えれば、可能になる生合成も増えます。有機合成の一部を生合性に置き換えることで、環境負荷の低いものづくりができるようになります。さらに、有機合成だけでは作れなかった物質を生合成と組み合わせることで新たに作れるようになるかもしれません。

酵素を自在に設計できるようになれば、特定の機能をもつ酵素だけでなく、未知の機能をもつ多様な酵素をあらかじめ作り、ライブラリー化しておくこともできます。創薬の世界では、数万~数十万種類の化合物をスクリーニングして有効な候補を探す作業が行われています。酵素でも同じように、膨大な種類を作れるようになっておけばAIと組み合わせることでこれまでにない有用な反応経路を効率的に見つけることもできるようになるでしょう。

このような技術が発展すると、次のような未来が期待されます。

  1. 生合成と有機合成を組み合わせることで、環境負荷の少ないものづくりが可能になる。
  2. 酵素を自在に設計し、新たな医薬品・農薬・食品などを作りだせる。
  3. 自然界には存在しない分子を活用して、医療・農業・環境分野で新技術を創出できる。
  4. これまでにないバイオ素材が生み出される。
  5. 設計した酵素を活用することで研究が進み、生命の仕組みの解明がさらに進展する。

これらの取り組みは、持続可能で豊かな未来社会を実現するための大きな一歩となるでしょう。

未来につながる現在の技術

これまで、生物研究者と有機合成研究者は異なる分野として活動してきました。しかし、両者の技術が成熟するにつれ、両分野の境界が次第に重なり始めています。現在では、以下のような分野の学問が協力し合い、学際的なアプローチが進んでいます。

  • 天然物化学:自然界の生物が作る有用物質を研究する
  • 有機合成化学:有機化合物の合成反応を研究する
  • 構造生物学:タンパク質の立体構造を明らかにする
  • 生命科学:酵素が生体内でどのように働くのかを調べる
  • 計算化学:化学反応や分子構造を理論的に予測する
  • AI・データサイエンス:未活用の天然有機化合物の構造や生合成経路を理論的に予知する

これらが互いに連携し、生命の仕組みを理解しながら新しい合成経路を開発する試みが進んでいます。生合成と有機合成の融合は、まさに農芸化学が得意とするところです。“生命と化学の架け橋”として、未来のものづくりを大きく変えていく可能性を秘めています。